第2回 駒込の植木屋盛衰 -錦繍枕(きんしゅうまくら)・錦繍枕(ちきんしょう)-
第1回 日光御成街道と駒込の植木屋
第2回 駒込の植木屋盛衰(1)
第3回 駒込の植木屋盛衰(2)
第4回 おわん横町異聞
第5回 日光御成街道と伝中
さて、前回は日光御成街道(本郷通り)と江戸・明治に発展した駒込の植木屋の関わりを述べましたが,今回は染井の植木業の盛衰を述べてみたいと思います。 街道筋の下屋敷に柳沢吉保の六義園があり、染井には藤堂家がありました。この藤堂家に出入りしていたのが、染井の伊藤伊兵衛です。 藤堂家に仕えた伊兵衛は造園の盛んな時代であったこともあり,庭の造り方、接木、挿木などを実地に覚え、卓越した研究心も手伝い、園芸家として大成しました。 そればかりでなく,伊兵衛は栽培のノウハウ、職人の秘宝芸を一般に理解、普及させるために,ツツジ・サツキ類の図入りの園芸解説書『錦繍枕』五巻(1692年)を刊行しています。 世襲制で最も活躍したのは三代目三之蒸(さんのしょう)・四代目政武(まさたけ)父子です。 三之蒸は植木の露除け(路地を掃除すること)など、下男的な働きをしながら藤堂家で不要になった花木を自分の庭で育て、「きり島つつじ・椿・楓」などを保有し、種樹家(植物などの原種の収集家)としても有名となりました。 この三之蒸の遺志は子・政武にも受け継がれ、ツツジ・サツキ類から更に庭木志向の道を開き、政武が描いた写実的な植物画が豊富に収められ、日本最初の本格的な園芸図鑑といわれている『地錦抄』20巻20冊(1710〜1733)を物にしました。 花木に対する愛情と探究心がこの染井をして世界最大の植木業を根付かせた先人の偉業といえましょう。 <第3回へ続く>
<第3回へ続く>