市民主体の歩行者に安全なまちづくり
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まちづくり瓦版
  

 第3回 駒込の植木屋盛衰(2)
-錦繍枕(きんしゅうまくら)・錦繍枕(ちきんしょう)-


第1回
 
日光御成街道と駒込の植木屋

第2回
 
駒込の植木屋盛衰(1)

第3回
 
駒込の植木屋盛衰(2)

第4回
 
おわん横町異聞

第5回
 
日光御成街道と伝中

 現在の専修院寺地は伊兵衛の屋敷があった処で,「武州豊島郡染井村施主敬白」と銘のある石塔が建っています。伊兵衛一族は西福寺、染井稲荷社を精神のよりどころとしていました。西福寺には「樹仙浄観信士」(1757年10月2日没)と刻まれた伊兵衛の墓があります。

 しかしながら,このように発展繁栄した植木の里も昭和初期にはすっかり衰退し、今ではビルの谷間に埋もれ、その面影さえもなくなりつつある事は誠に淋しい限りであります。
 こつ然と消え伏したような植木屋は駒込の七不思議のひとつかもしれません。この理由を探ってみると、いくつか考えられます。

 文明開化の明治の世になり,近代国家建設の大きな波や資本主義の発達と工業化は急速な都市集中を呼びました。広い土地を利用していた植木屋は植溜(苗畑)を宅地に変更したり、売地、建物の建造による収入が植木を作るより,はるかに有利となりました。
 加えて植木屋は木に対する愛情と根気がいり、また,職人芸を極めた植木職人の高齢化も進み、今どきの3Kの職種よろしく,後継者離れで衰退の一途をたどるのでした。

 このようにして植木の里は、現在の川口市の安行や,大宮市の盆栽村に代わるのであります。
 戦後、焼土の中、地域の有志諸氏により植樹された、ソメイヨシノの若木が立派に育ち、JR駒込駅のツツジ・サツキが春になると咲き誇る姿だけが先人の残した花木の往時を偲ばせており、いつまでも大切にしたいものであります。
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小手指まちづくり事業協同組合
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